行事名 講演会シリーズ2014「韓日交流史」第4回李成市さん
日時 14.04.18∼ 14.04.18
韓国文化院では、毎年ご好評いただいている講演会シリーズを今年も1月からお届けしております。今年は「韓日交流史」をメインテーマに、古代から近現代まで様々な視点や時代を取り上げて、全11回にわたって韓国文化院ハンマダンホールを舞台にそれぞれの分野のエキスパートに語っていただく予定です。 本講演会シリーズの第4回目が、4月18日(金)に開催されました。 今回は、韓国古代史と東アジア史を専攻され、早稲田大学文学学術院長・教授でいらっしゃる李成市さんをお招きし「百済・高句麗滅亡後の新羅・日本関係史」というタイトルでご講演いただきました。 講演で李成市さんは、7世紀中頃から8世紀までの東アジアを背景にした韓半島と日本との関係について韓日両国の古文書等の史料はもちろん、最新の発掘資料による新たな切り口や定説とは異なる主張を交えながら高句麗と百済の滅亡の過程、新羅の統一政策、統一新羅の政治と外交、新羅と日本の王権の類似性、「日本」という国号の使用時期、統一新羅と日本の公的使節の往来と人物交流等、多岐にわたって詳細に語ってくださいました。 膨大なお話の内容のうち、いくつかのお話を紹介しますと、例えば、日本では遣唐使を通じて唐の政治システムや文化を取り入れたというのが定説でありましたが、実は6世紀中旬から末にかけて、新羅と日本は共に公的使節を合わせて30回以上も派遣し合い、更にはこのほぼ同時期おいて、両国は唐型の王(天皇)を中心とした中央集権国家が生まれ、律令国家として確立し鎮護国家のための仏教整備、新羅の骨品制と日本の八色の姓の制度等この時期の王権の類似性を見ると、李成市さんは、むしろ遣唐使ではなく新羅との交流においてもたらされたのではないかと語ります。 ならば、この時代の新羅と日本の交流の実態はどうだったか。 新羅と日本においては、高句麗滅亡後の668年から公的関係を終えることになる779年の最後の新羅からの使節まで、この約110年の間に、新羅から47回、日本から25回の使節が互いに派遣されたそうです。 両国間において、短い期間内にこれだけの濃密な外交関係は珍しいとのことです。 李成市さんは、これを更に大きく3つの時期に分けることができると語り、第1期は、668年から696年までの29年間で、この間新羅からは25回、日本からは9回使節が送られました。この時期は、新羅の積極的な対日本外交の時期と言えますが、その背景には唐との軍事緊張への備えが大きな目的であり、新羅側から見れば、唐との対立をにらみ後方の安全保障策という性格で日本との外交に取り組んだと言えます。 一方、新羅に派遣された日本の使節団には、使臣、留学生、留学僧たちが含まれており、彼らを通じて、新羅の文物、制度、学芸などが日本に伝えられ、日本の律令体制の整備をはじめ、様々な政治システムに影響を及ぼしたと考えられます。 続いて、第2期は、697年から731年までの34年間で、この間新羅から10回、日本からも10回使節が送られました。この時期、新羅からの使節に対し、日本の律令国家体制の国家構造を可視的に演出するために、入京には、儀仗騎兵を編成したり、朝賀の儀式に参列させたりしたそうです。 このように新羅が日本側の儀礼に従い、あえて日本側の要請に応じた理由には、北辺における渤海の建国にともなって発生した新たな脅威のためだと李成市さんは語ります。実際に720年代になると、新羅と国境を接する境域での緊張が高まり、732年には唐による要請により新羅は渤海に軍隊を派遣し、交戦もしています。 最後の、第3期は、732年から779年までの47年間で、この間新羅から12回、日本からは7回使節が送られました。この時期は、新羅からもたらされる使節の大規模化と両国の政治的対立の先鋭化というのが特徴としてあげられるとのこと。この時期になると、新羅は唐との関係を改善して国力が安定し、低姿勢の対日外交を継続する必要は低下し、日本が求める外交形式にも新羅は従わないようになります。 一方、日本側も新羅使節が来港しても、さまざまな理由をもって筑紫で追い返しますが、それでも、新羅が日本との関係を維持しようとした背景には、引き続き緊張を増していた渤海への対応策の継続のためだったと李成市さんは語りました。文献には、762年に日本が渤海との軍事同盟を前提に、藤原仲麻呂による新羅征討計画があったことが記録されています。 このように、李成市さんは、結論として当時の新羅と日本の関係は決して友好的な関係ではなく、古代の東アジアの国々の緊張関係と、それに対応するための様々な外交姿勢を使い分けた言わば軍事戦略的な意味合いの強い関係だったと語りました。今現在でもそうですが、古代の韓半島と日本の関係を見る時も、単に両国間だけではなく、視野を広げ東アジア全体を見渡して、その背景に何があり、どのような力が働いているかまで見抜いてこそ、互いの立場がわかり相互理解につながるということを改めて実感できる講演会でした。 次回(第5回)の講演会も、今回に引き続き李成市さんをお招きして、今回の講演会でも重要なキーを握った渤海までを含んだ「古代東アジアの中の新羅・渤海日本交流史」というタイトルでご講演いただく予定です。 応募締切は、5月11日(日)までとなっていますので、興味ある方はどうぞお早めにお申し込みください!
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